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魔術的現代詩⑥『空の庭、時の径』 [魔術的現代詩]

ブルトンは、「怖れこそは魔術的意識の第一の原動力だった」としている。(『魔術的芸術』P100)
そしてそれは、性的な心の奥底に結びついており、恐怖を払いのけるとともに、その恍惚たる性格を引き延ばそうとしたものだととも。
ここには、狼男の話をせがむ子供のように、感情の両義性が隠されているのだと。

この怖れに対応する一つは「儀式」≒「祈り」であり、これは宗教と魔術とに共通して見られるものだ。
ただし、前者は「諦念」を前提とし、後者は「反抗」を前提とするあまりにも人間的な行為である。
これらは、厳密に区別することを許さないが、どちらにせよ名付けようのない怖れや不安から、自らの力で解消しようとする思いが、「言葉」≒「詩」を書くという行為に内在するのではないだろうか?


空の庭、時の径.jpg
『空の庭、時の径』
須永紀子
(書肆山田・2010年4月10日・2,200円)

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魔術的現代詩⑤『アイヌ・母(ハポ)のうた』 [魔術的現代詩]

言葉と文字は、表裏一体なもののように見えて、実は本質的な相関関係はない。
言葉には文字は必要ないし、文字は言葉がなくても自立できる。
エリファス・レヴィは、想像力は言葉の適用の道具と言ったのであり、ここでは文字そのものにスポットはあてられない。
文字のない言語。
確かに文字は、言葉を広範囲に伝達するための合理的手法であるが、正確な手法であるかどうかには疑問が残る。
アイヌ民族は、豊かな言語体系を残したが、文字という文化は残さなかった。
不要だったのである。
しかしそれは、民族そのものの衰退に従い、言葉もやがて消滅しようとする運命をたどる。


アイヌ・母のうた.jpg
『アイヌ・母(ハポ)のうた』
伊賀ふで著、麻生直子+植村佳弘編
(現代書館・2012年4月20日・2,400円)

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魔術的現代詩④『魔術的芸術』メモ [魔術的現代詩]

ここでは『魔術的芸術』のイントロダクションを要約することで、『魔術的芸術』そのものの概念を把握しようとするものである。
いわば、覚書。
誤字、脱字、解釈などは追々改めるとして、以下に列記したい。


魔術的芸術扉絵.jpg
『魔術的芸術』扉

『魔術的芸術』〔普及版〕 アンドレ・ブルトン
監修:巌谷國士
訳:巌谷國士、鈴木雅雄、谷川渥、星野守之
(河出書房新社・2002年6月30日・3,800円)

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魔術的現代詩③『黄泉幻記』 [魔術的現代詩]

エリファス・レヴィは『高等魔術の教理と祭儀』において、<想像力こそは、霊魂の眼のようなものであり、……幻影を映し出す鏡、魔術的生命を生み出す装置である>と、述べている。
また、<想像力は「言」の適用の道具である>とも述べ、完璧な「言葉」は、目で感知できる事物と目に見えない事物とぴったり重なり合っていると断言している。

つまり完璧な「言葉」とは、一つの原理・真理・条理によって発せられるもので、それをなすためには目に見えないものを、目で見ることを可能とする、想像力が欠かせないというわけだ。


黄泉幻記.jpg
『黄泉幻記』
林美脉子
(書肆山田・2013年5月20日・2,500円)

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魔術的現代詩②『悪母島の魔術師』 [魔術的現代詩]

現代詩における機能とはいったい何であろうか?
そもそも、機能などというものが存在するのであろうか?

「魔術的」か否かを問う前に、まずはこの疑問に取り掛かることから始めたい。
もしも現代詩に機能というものが存在するならば、それに見合った成果がなければ、それは機能的な面においての失敗作といえるだろう。
しかし、たとえ機能的な面での失敗作であっても、それが芸術的な面での失敗作とは限らない。
つまり、機能の根幹をなす「合理性」は、芸術的側面から見た場合には、まったくもって副次的な要素に他ならないからだ。
「魔術的」か否かについては、必ずしもそうとは言えない部分を残すが、まずは「機能的」かどうかという視点で、以下考察してみたい。

悪母島の魔術師.jpg
連詩『悪母島の魔術師』
新藤涼子・河津聖恵・三角みづ紀
(思潮社・2013年4月30日・2,000円)

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魔術的現代詩①『魔術的建築』の可能性 [魔術的現代詩]

『魔術的』という概念が頭から離れない。
文学における魔術性、とりわけ現代詩における魔術性について、以下取り留めもなく考察していきたいと思う。
「魔術的」という概念そのものが、捉えどころのない不明確な概念であるため、まずはイントロダクションとして、以下の論考を引用する。
これは、『建築雑誌』(2009年9月号)に掲載された論考の元原稿で、紙面の都合で半分ほど割愛した部分を含む。
アンドレ・ブルトンとジェラール・ルグランとの共著『魔術的芸術』に倣って論を進めたもので、終始「魔術的建築」という概念を念頭に書かれたもの。
これを「魔術的文学」に置き換えて読んだとしたらどうなるか?
果たしてどうなるかわからないが、まずは全文を引用する。(誤字脱字は、追々訂正の予定)

魔術的芸術.jpg
『魔術的芸術』〔普及版〕 アンドレ・ブルトン
監修:巌谷國士
訳:巌谷國士、鈴木雅雄、谷川渥、星野守之
(河出書房新社・2002年6月30日・3,800円)

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