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魔術的現代詩㉕『世界の終りの日』 [魔術的現代詩]

詩と小説との喫水線


書影「世界の終りの日」.jpg


 詩と小説の喫水線は、しばしば議論の的になる。
 しかし、それは飽くまでも形式論であって、イメージの豊穣に思いを巡らす時、詩であろうが小説であろうが、或いは音楽であろうが、映像であろうが、形式論は無味乾燥なものでしかない。


     ⁂

著者 草野理恵子
『世界の終りの日』草野理恵子詩集
(発行:モノクローム・プロジェクト、発売:らんか社/二〇一九年九月二〇日発行/一二〇〇円+税)

     ⁂



 殊に幻想を扱う作品の場合、至るところに「詩」は内在するし、形式の縄張り争いなど、最早アナクロニズムと言って良いだろう。

 草野恵理子の「詩」の特徴は、そもそも形骸化されたそれとは一線を画すもので、常に物語性を帯び、幻想的で、不安と恐怖の狭間を行き交うメンタリティで構成される。
 極めて危うい足場を手探りで通過する感覚を、不条理なまでの速度で展開するエンターテインメントそのものなのだ。

     ⁂

  小花の咲く孤島に耳の長い動物と二人棲む
  温かなその毛を持つ生き物と交尾し
  子供を産む

  (中略)

  お腹がすいたら一匹殺す
  一匹食べるとずいぶん持つ

 (「孤島」より)

     ⁂

 この道徳的背理をもって物語はスタートする。
 仔を食らうという残虐性を孕むが、これは閉ざされた空間での規範であり、社会であって、当事者には罪の意識は存在しない。
 寧ろ、共認されたモラルとして、ありのままの現実を描写しているに過ぎないのだ。

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  ある日間違って姉の体の上に大量のツララを落とした
  何本かが姉に胸に刺さり
  雪の上 鮮血が飛び散った

  (中略)

  父と私はそのまま姉を埋めた 

 (「ツララ」より)

     ⁂

 この血の通わない感性も、同様のモラルから派生する。
 まるでマンディアルグを想起させるこのアトモスフィアは、詩人が幼少期に暮らしたという水族館での生活に起因するものか。

 水のイメージ、水生生物、エロス、欠損した肉体……透徹したこれらの感性は、ついには「美」という観念に結び付くはずだ。


 本書は28の詩篇からなり、Prologue、Act.1、Act.2、Act.3、Epilogueと章に分かれる。
 それぞれの詩篇は独立しており、内容的な連続性は特に強調されない。
 ただ語り手の人称が私(女)、僕(男)、私(中性)と章ごとに変えて、包括的に「世界の終りの日」を演出している。
 なかなか凝ったレイアウトだ。
 
 他に、抽斗の中に男と老婆を飼う「抽斗」など、不安と幻想の妖気が、徐々に世界の終局を予言する。
 現代詩に抵抗を持つ読者にも、是非ともお奨めしたい物語詩である。


◆『幻想と怪奇』3 平井呈一と西洋怪談の愉しみ
 (株式会社新紀元社 企画・編集 牧原勝志 2020年9月4日 2,200円 税別)より、再録。


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