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魔術的現代詩⑬『エフェメラの夜陰』 [魔術的現代詩]

詩(死)の幻像――、として 



レヴィ=ストロースは、ボロロ族に関する処女論文の中で、とりわけそれ自体は目に見えるものではない社会組織が、どのように目に見える形を与えられるかと云うことに関心を注いだとされる。(*)

エフェメラ――儚い一瞬の時――に魅了された詩人・林美脉子の関心事も、根源的にそれとほぼ同じ位相にあると言ってよいだろう。

語り得ぬものを如何に語るか?
そして何を語るか?

これら二つの主題はそれぞれ独立したテーマとして扱うものではなく、二者択一のツールとして利用されるものではない。




エフェメラの夜陰.jpg


『エフェメラの夜陰』
林美脉子
(書肆山田・2015年1月15日・二二〇〇円+税)


何を表現すべきは、常に如何に表現すべきか? 
という課題を孕んでおり、すなわちこの解答を以ってして詩人の個性、或いは詩そのものの本質が表出されるものと確信する。


表題作「エフェメラの夜陰」は、〈アララ鸚鵡が啼くとポロロ族(ママ)は輪廻のひと巡りを終わらせる〉という、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』からの引用で始まる。



     *


ベッドを囲む深い昏森に 原始の陰獣が呻き ポロロ族の顔は虚ろに振り向きねじれ嗤う 緩やかに無化されていく血脈のぬくもりの 死のまなざしの奥深く 


     *
  




基底を流れるテーマは《死》の形象である。

しかしこの死は、絶対的終焉へと向かうそれではなく〈おいで おいで〉とリフレインされるアララ鸚鵡の誘いに見られる如く、永遠に循環する輪廻を描いた《死》なのだ。



続く「月虹」は、痛みという〈慟哭の果てに開かれてくる死の相貌〉を具現化したもので、ここでは〈死が未聞の高みに届く/その位置〉を痛み(生)との痛烈な対比によって照合されている。

同じ死を扱っていても、輪廻という客観的視点とは遠く、痛みという個の感覚を訴えることにより、《死》がより身近に、そして生々しく表出されている。
そして、この客観と個との間を彷徨するのが、各篇に度々現出する〈リル〉という存在なのであろう。





     *


死の微分に触れ得ない質の招きの
存在の残骸であるリル
風の噂の痕跡さえ残さずに
現夢を不在に転化する
リル      (招きのリル)


     *





風の噂のリル、少女の姿に還ったリル、相として幻映するりーる、絶対零度の雪陰に潜むリル、滅びの呼び声に射当てられ、自ら明け渡し消えていったリル、超無限領域に神話として蘇生したリル……。

リルの存在は、ボロロ族の想起する動物たちの総称として捉えられ、そして超越的・魔術的な〈相〉として本書には不可欠な存在である。

それだけに、上海帰りと修辞されたその一点だけが遺憾でならない。



他に極寒の地に色濃く土着した神話とも回想ともつかない詩(死)群、全十五篇を納めている。

極めて真正なる詩集である。


(*) 『レヴィ=ストロース 構造』渡辺公三著・講談社より  






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