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魔術的現代詩⑭『川・海・魚等に関する個人的な省察』 [魔術的現代詩]

釣竿を持つソクラテス――藪下明博

 
川・海・魚等に関する個人的な省察.jpg

              

タイトルを見て、小笠原鳥類氏の『素晴らしい海岸生物の観察』をふと思い起こした。
いや、ただ思い起こしただけで他意はない。
海・生物・観察といったキーワードが重なり、何となくそれが脳裏を掠めたのであろう。

     *

『川・海・魚等に関する個人的な省察』
八木幹夫
(砂子屋書房・2015年6月1日・2,000円+税)

     *
内容も全く違う。
こちらは、およそ「鳥類」とは無縁であって、主人公は「人間よりもはるかに遠い生命の記憶を持つ」魚類である。
いかにも釣り好きの詩人が上梓した詩集だけあって、文字通り川・海・魚・釣りに関する詩篇、二九篇が収録されている。


   *
どうしても
泥鰌は
どぜう
でなければ/なりません

ヨソユキの裃
一張羅の燕尾服
を着るように

泥鰌
なんて
漢字で

感じが
出ません

(中略)

どうして?

哲学せよ
みずから

「序詩 どぜう」
   *


これは冒頭に収められた詩の一部だが、どう見ても最後の二行は蛇足である。
しかし、この二行が付加されることによって、以下の詩篇に対する読者の態度が決定付けられる。
難しい哲学を感じる訳でもない。
深い洞察が内在する訳でもない。
むしろ、親父ギャグの延長線上に語られるユーモア溢れる脱力感をメインとするが、その言葉から発散される貫禄は、並みの詩人には容易く真似出来る芸当ではない。

要するに老練な詩人が、若い詩人を戒める諫言、いや酒を酌み交わしながら、柔らかな説教に浸る自虐的なシチュエーションにも似ているが、不思議と逆らうエネルギーは湧いてこない。
年の功と言えばそれまでだが、これが長年詩人として培ってきた八木幹夫の力量なのだ。


   *
数万年も繰り返す
うずくような
生の快楽
さんらんたる産卵
死の陶酔

「鮭」
   *


ワタシタチノタチバカラ
イワシテイタダケルナラ
アノサカナハオニデスチクショウデス

「鰯」
   *


さほど面白くもない(笑)言葉遊びを繰り返しながら、それでいて「なるほど」と唸らせる響きを持つ不思議な感覚。
けれども、よくよく考えてみると「ん?」と疑問符を抱かせる結果に収束してしまう。
このノンシャランスな性質が本詩集の最大の魅力とも云えるのだが、ただし不慣れな読者には、その真意が伝わらない危険性を多く孕んでいる。

八木は、この詩集の発刊が前作から七年の歳月が経過していることを「あとがき」で述べている。
そしてその間に、あの大震災があったとも。

「私は詩をできるだけ現実から遠い位置に避難させた」と告白している通り、収録作は四篇を除いてすべて三・一一以後に書かれたものだ。
自然の持つ破壊力、それを克服しようとする人間の葛藤。
悲しみに触れ、怒りと安堵を共有させようとする人々の姿。
そして、一切を語ろうとしない、孤独な詩人の哲学もまた、自然の力そのものであろう。

タイトルの末尾を「観察」とせず「省察」とするところは実に恣意的である。
これは野菜畑から釣竿を持って戻ってきたソクラテスの、全くもって個人的な哲学書である。




◆『季刊 びーぐる 詩の海へ 29号』 (澪標・2015年10月20日・1,000円+税) より再録   



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コメント 2

ヴェルデ

詩はわからないけど、どぜうはどぜうだわ。
どゼう鍋が食べたい…
by ヴェルデ (2015-11-06 02:02) 

あおい君と佐藤君と宗男議員

ヴェルデ様

どうぜ、いや、どうぞお食べください。(笑)
by あおい君と佐藤君と宗男議員 (2016-02-10 22:50) 

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