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魔術的現代詩⑱『近現代アイヌ文学史論』〈近代編〉 [魔術的現代詩]

内なる越境文学の歴史とその軌跡――藪下明博

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近(現)代のアイヌ文学の歴史を、これ程までに系統立て、かつ主要文献(人物)を網羅した「文学史」は他に見当たらないであろう。

藤本英夫氏による知里幸惠や知里真志保、金田一京介らの先駆的伝記の貢献は言うまでもないが、アイヌ文学を国内に於ける越境文学と捉え、固有の文学史として見据える著者の視点は、今後のアイヌ文学研究の方向性を決定付けるエポックメーキングになると言っても過言ではない。

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『近現代アイヌ文学史論』〈近代編〉
須田茂
(寿郎社・2018年5月31日・二九〇〇円+税)

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それほどまでに本書の出現は、質・量ともに充実したものと評価してよいだろう。

本書は、まず「近現代」という時代区分についての定義から始まり、その区分が単なる日本史に於いての近現代ではなく、アイヌ民族のアイデンティティーを基調に考察している点に注目しなければならない。

従来通り、日本文学の範疇内でのアイヌ文学とは捉えず、あくまでも民族として独立した「アイヌ」を主眼に置いた文学史なのである。

アイヌ民族には文字の文化が存在しなかった。

しかし、ユカラやウエペケルなど「口承文芸」という形での「文学」が存在したことは周知の通りである。

そして、その「口承」自体も、国家による日本語の強制使用と同化教育により蹂躙されてきた事実は強調してもし過ぎはしないだろう。

よって近現代におけるアイヌ文学の特徴は、その大半が否応なく日本語によってなされたもの、或いは日本語を母国語と同様の意識下に於いて使用したものなど、複雑に交錯した精神構造が根底に潜在している。


著者は、まずその歴史的背景に触れた上でアイヌ文学の全体像をほぼ時系列に沿って俯瞰している。

イギリス聖公会宣教師ジョン・バチュラーによる「アイヌ教育」から始まり、日本政府の「アイヌ学校」による同化運動、小谷部全一郎の虻田学園、南極探検隊からの帰還後に、自叙伝として出版された山辺安之助の『あいぬ物語』など、樺太アイヌの概要紹介も含めた現在では入手困難な資料にも多く言及している。

とりわけ、アイヌ民族の風習や和人との関係、宗教、工芸品にまで手を広げた『アイヌ物語』の著者武隈徳三郎の足取りは、文学史の範疇を超えた委細な記録という観点からも非常に興味深い。


今日ではアイヌ文学の金字塔とまで言われる知里幸惠の『アイヌ神謠集』をはじめ、俳人・歌人である違(い)星(ぼし)北斗(ほくと)の文学思想や、歌人として名を馳せるバチュラー八重子の軌跡、アイヌ民族初の本格的「日本語」詩人森竹竹市の詩業など、一般には知られていない詩歌人の紹介には目を瞠るものがある。

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 蛙鳴くコタンは暮れて雨しきり(違星北斗)

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 ふみにじられふみひしがれしウタリの名誰しかこれを取り返すべき(バチュラー八重子)

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 冷たき友の骸をかつぎ/夕日落つる西山の/ほとりへ我等しづ歩む/優勝劣敗ーー適者生存ーー(「輓歌」森竹竹市)

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これらの詩歌は、近代アイヌ文学の特徴である「抵抗文学」としての側面を有することは否定できない。

むしろ、今までそのことに焦点を当てすぎ、純粋文学としての観点が蔑ろにされてきた嫌いがあるだろう。

本書を契機に、多くの人が「アイヌ文学」に触れ、その本義を再考することに期待したい。
 


◆『季刊 びーぐる 詩の海へ』 42号(澪標 2019年1月20日 1,000円 税込み)より、再録。

        
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