魔術的現代詩⑯『アンドレ・ブルトンの詩的世界』 [魔術的現代詩]
痙攣的な「詩」世界の探求――藪下明博
久しぶりにアンドレ・ブルトンに関する纏まった論考が上梓された。
詩人・朝吹亮二氏が三十年にわたり書き留めた、詩論・エッセー・研究ノート等を一冊にしたものである。
二部構成となっており、Ⅰ部には研究論文八本を、Ⅱ部にはエッセー六篇が収録されている。
*
『アンドレ・ブルトンの詩的世界』
朝吹亮二
(慶應義塾大学法学研究会・2015年10月30日・四九〇〇円+税)
久しぶりにアンドレ・ブルトンに関する纏まった論考が上梓された。
詩人・朝吹亮二氏が三十年にわたり書き留めた、詩論・エッセー・研究ノート等を一冊にしたものである。
二部構成となっており、Ⅰ部には研究論文八本を、Ⅱ部にはエッセー六篇が収録されている。
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『アンドレ・ブルトンの詩的世界』
朝吹亮二
(慶應義塾大学法学研究会・2015年10月30日・四九〇〇円+税)
魔術的現代詩⑮『樹下』 [魔術的現代詩]
魔術的現代詩⑭『川・海・魚等に関する個人的な省察』 [魔術的現代詩]
魔術的現代詩⑬『エフェメラの夜陰』 [魔術的現代詩]
魔術的現代詩⑫『森の明るみ』 [魔術的現代詩]
魔術的現代詩⑪『仁王と月』 [魔術的現代詩]
魔術的現代詩⑩『死語のレッスン』 [魔術的現代詩]
魔術的現代詩⑨『石目』 [魔術的現代詩]
魔術的現代詩⑧『ねじふりこ』 [魔術的現代詩]
ユートピアの構築。
あるいは、観念への祈祷。
郵便配達夫シュヴァルの理想宮や高橋峯吉の岩窟ホテルは、実現されたユートピアとして確かに顕在する。
ピラネージの『牢獄』でさえ、たとえ紙の上であるにせよ私たちの脳裏に深く焼き付いている。
江戸川乱歩の「パノラマ島」も、奇譚という形で永遠の空間を保持している。
サドやフーリエも、ある意味でのユートピストであった。
では、詩におけるユートピアとは?
断言するまでもなく、その数は無数に存在する。
むしろ、一度もユートピアを夢見ない詩人などいるであろうか?
詩を書こうと念ずる精神は、たとえ寄り道程度であっても、このユートピアの道を通り過ぎる。
問題は、どれだけ徹底した態度を貫くかということ。
『ねじふりこ』
千慶烏子
(沖積社・1996年5月27日・2,300円)
あるいは、観念への祈祷。
郵便配達夫シュヴァルの理想宮や高橋峯吉の岩窟ホテルは、実現されたユートピアとして確かに顕在する。
ピラネージの『牢獄』でさえ、たとえ紙の上であるにせよ私たちの脳裏に深く焼き付いている。
江戸川乱歩の「パノラマ島」も、奇譚という形で永遠の空間を保持している。
サドやフーリエも、ある意味でのユートピストであった。
では、詩におけるユートピアとは?
断言するまでもなく、その数は無数に存在する。
むしろ、一度もユートピアを夢見ない詩人などいるであろうか?
詩を書こうと念ずる精神は、たとえ寄り道程度であっても、このユートピアの道を通り過ぎる。
問題は、どれだけ徹底した態度を貫くかということ。
『ねじふりこ』
千慶烏子
(沖積社・1996年5月27日・2,300円)
魔術的現代詩⑦『タラマイカ偽書残闕』 [魔術的現代詩]
魔術的でないものを、魔術的に見せかけようと苦心した作品も、つまるところ魔術的意識から生じた副産物である。
あるいは、魔術的でないものを、無理やり魔術的に解釈しようとする行為も同じで、両者には大きな隔たりは見られない。
どちらにせよ、この二つは本来の魔術的意識からは明確に区別する必要がある。
ただし、害毒にならない限りにおいて、これら「遊び心」から生じるであろう副産物も、今のところ魔術的文学の範疇においても構わないだろう。
イースター島のモアイ像を見てもわかるとおり、当時の島民には微塵も「遊び心」はなかったなどと、だれが断言できるであろうか?
『タラマイカ偽書残闕』
谷川俊太郎
(書肆山田・1978年9月15日・1,200円)
あるいは、魔術的でないものを、無理やり魔術的に解釈しようとする行為も同じで、両者には大きな隔たりは見られない。
どちらにせよ、この二つは本来の魔術的意識からは明確に区別する必要がある。
ただし、害毒にならない限りにおいて、これら「遊び心」から生じるであろう副産物も、今のところ魔術的文学の範疇においても構わないだろう。
イースター島のモアイ像を見てもわかるとおり、当時の島民には微塵も「遊び心」はなかったなどと、だれが断言できるであろうか?
『タラマイカ偽書残闕』
谷川俊太郎
(書肆山田・1978年9月15日・1,200円)