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魔術的現代詩⑧『ねじふりこ』 [魔術的現代詩]

ユートピアの構築。
あるいは、観念への祈祷。

郵便配達夫シュヴァルの理想宮や高橋峯吉の岩窟ホテルは、実現されたユートピアとして確かに顕在する。
ピラネージの『牢獄』でさえ、たとえ紙の上であるにせよ私たちの脳裏に深く焼き付いている。
江戸川乱歩の「パノラマ島」も、奇譚という形で永遠の空間を保持している。
サドやフーリエも、ある意味でのユートピストであった。
では、詩におけるユートピアとは?

断言するまでもなく、その数は無数に存在する。
むしろ、一度もユートピアを夢見ない詩人などいるであろうか?
詩を書こうと念ずる精神は、たとえ寄り道程度であっても、このユートピアの道を通り過ぎる。
問題は、どれだけ徹底した態度を貫くかということ。


ねじふりこ.jpg
『ねじふりこ』
千慶烏子
(沖積社・1996年5月27日・2,300円)

千慶烏子の『ねじふりこ』は、まさにこのユートピア詩群にあたるだろう。
ただし、ここで構築されるユートピアは、万人が求める理想郷のそれではない。

少年の陰茎に託す原初の感覚。
きわめて個人的であり、かつ幽閉された観念としてのユートピアである。
ここに有益性はない。
したがって、社会が求める性質のものではない。

体裁的には101の断章からなる長編詩と言えるが、これは合理的な配列によるものではない。
物語を語るというのでもなく、具象化されたイメージの羅列といったほうが理解しやすい。
断章には長短があり、時折発する箴言にはやや思惟を感じる嫌いはある。




1
ぼくはあいつがとりすましてばかりいるからきらいだ、と少年が言ったのはいったい誰に対してであったろうか。

3
いずれにせよ語られねばならないのは少年の陰茎であって男根ではない。女陰的抑圧とたたかうためのひとつの脆美な橋頭堡。

11
側鉛もしくは針、魚をつるための。

15
満月の泉に糸を垂らして釣り上げた魚の乳房のかたちを、少年はいかほど克明に描いて見せるのであっただろうか。享楽、もしくはあたらしい無秩序。(後略)




まるで、マンディアルグの『閉ざされた城の中で語るイギリス人』を想起させるシチュエーションである。
とはいうものの、ここには究極とされるエロスも、残虐性も見当たらない。
むしろ、観念上の事象をランダムに積み上げ、焦点のまとまらないビジョンとしてのパノラマを共有しようとする試みが感じられる。
視点が多数に存在することによって、より多角的な複雑な形態が構築されている。
果たして、読者は詩人と同じ視点に立つことができるか?
ここではその強要を、詩人自らが極力避けているようにも感じられる。

つまるところ、このユートピアは、あらゆるユートピアに共通するところの欠落、不完全さを有しているのだ。
しかも、初めから完成する目的を有しない、脆弱なユートピアを構築しようとしているようだ。




99
心臓、もしくは、落雷の予感に勃起するそれ。――君は、ときどき歯でしごいて、鳴るか鳴らぬか確かめてみなければならない、それが理由もなく風になる海洋の果実であるならば。

100
乾いた岩塩でできた島嶼に住む鳥の名は、白い。それは飛ばない。

101
ふふん、豊干がしゃべったな。



己の理想を追求するということは、畢竟他人の理想から遠ざかって行くことにつながる。
ユートピアの運命。
しかし、どれだけ強い信念をもってそれを追い求められるか?
同時に、他人には侵されたくない聖地としての存在。
ユートピアを求める姿勢には、詩を書くという欲求そのものと通底している。








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