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魔術的現代詩⑤『アイヌ・母(ハポ)のうた』 [魔術的現代詩]

言葉と文字は、表裏一体なもののように見えて、実は本質的な相関関係はない。
言葉には文字は必要ないし、文字は言葉がなくても自立できる。
エリファス・レヴィは、想像力は言葉の適用の道具と言ったのであり、ここでは文字そのものにスポットはあてられない。
文字のない言語。
確かに文字は、言葉を広範囲に伝達するための合理的手法であるが、正確な手法であるかどうかには疑問が残る。
アイヌ民族は、豊かな言語体系を残したが、文字という文化は残さなかった。
不要だったのである。
しかしそれは、民族そのものの衰退に従い、言葉もやがて消滅しようとする運命をたどる。


アイヌ・母のうた.jpg
『アイヌ・母(ハポ)のうた』
伊賀ふで著、麻生直子+植村佳弘編
(現代書館・2012年4月20日・2,400円)

本書は、今ではほとんど使われることのなくなったアイヌの言葉を、日本語という文字に置き換えた詩集である。
アイヌの伝統曲(ウポポ)の意訳詩と、釧路アイヌとして育った伊賀ふでの詩人としての仕事をまとめたものだ。




コロ エベレ
ホブナニ 
ホク トンゲ
へ チュイ
ヤン フーン

さようなら さようなら
私のかわいい仔熊よ
泣けて泣けてしかたがない
これが運命というものか
共に暮らし 共に食し
きょうだいのように遊んだり
同じ空を見たり
寒さも暑さも一緒にしたものを
心ならずも おまえは天国へ行く
神にされて行ってしまう
遠い遠いあの空へ
許しておくれ 昔のしきたり
生まれ変わって
また私のところへ戻っておくれ
私は泣きながらお送りします

「イヨマンテ:熊送り(熊祭りの寂しさ)」





マツ ナウレラ アバチャ オシマ
ウララ シュエ カンド コリキシ

やさしく吹く 春の女神
戸をやさしく音立てて
霧のようにゆらゆらと
空へ上って行く

「パエカラ レラ:春風」




どうやらアイヌ語と日本語が、そのままの対訳となっているとは限らないようだ。
詩人は、アイヌ語の意味を反芻しつつも、詩情豊かにイメージを膨らませているのだろう。
時にアイヌ語を離れて、日本語だけの訳詩が記載されているものがある。

もしもこの短いアイヌ語の言葉の中に、これだけの日本語の意味が込められていると考えたらどうだろう?
日本語には訳しきれない、アイヌ特有の言葉の魂。
アイヌ語を理解しない者には、それらは定かではないが、本来持ち合わせた言葉の意図が通じなくなっても、そこにあったであろう言葉の魂を彷彿とさせる言葉。
この想像力を掻き立てる言葉こそ、やはり魔術的なものに他ならない。




言葉を文字に変えるという行為も、ある意味魔術的側面を有している。
本来言葉は、発せられるだけで充分なわけであるから。
文字のないアイヌ語をカタカナという文字に変換すること。
この作業だけでも、計り知れない詩人の熱意が伝わってくる。


詩集の後半は、伊賀ふでという一詩人の日本語詩に当てている。
貧困がベースになっており、その独白には心打たれるものがある。
アイヌ語は自然に消滅したのでは決してない。
北海道旧土人保護法という名のもとに、屈辱的な同化政策によって、アイヌは強制的に自分たちの言葉を放棄させられたことを忘れてはならない。




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コメント 2

ヴェルデ

近代日本の植民地主義は強制的に領域内にとりこんだ人々の「ことば」を奪うことから始まったのですね。最後の一節、忘れないようにします。
by ヴェルデ (2013-08-16 10:26) 

あおい君と佐藤君と宗男議員

>ヴェルデ様
「ことば」を奪うことから始まったかどうかはわかりません。
同化されることで、有利になった点も不利になった点もあるでしょう。
ここでは、消滅の過程を記したにすぎません。
あるものが消滅するときは、何らかの外的要因が加わるものだと理解していただきたいです。
by あおい君と佐藤君と宗男議員 (2013-08-16 13:18) 

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